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2005年5月4日(水) はれ <24日目>
出発地:長崎県西海町 道の駅 さいかい 現在地:長崎県深江町 
道の駅 みずなし本陣ふかえ  
走行距離:202.7km ★ 計:4268.3km 出費:5750円 
★うちわけ★
GAS:1000円 食費:250円 温泉代:400円
通信費:600円 観光費:3400円
通行料:100円 


長崎県・かばのももちゃんと不思議な光景。


到着したのが22時前。眠くて仕方がない。だけど何だか今でも心臓がドキドキしている。

例の車が朝からバタバタ、出もしないのにアイドリング。おかげで6時前に目が覚めてしまう。

わたしは道の駅で休ませてもらってるんだから、休憩で来る人が音を立てるのなら仕方ないとは思えるけど同じ車中泊。お互いにもう少し気を遣えたらみんなが気持ちよく過ごせるのにと思うんだけど、まぁ、いろんな人間がいるし、そう上手くいかないわね(;・∀・)。

カーテンを取り外すと、40代と思われる夫婦がエンジンをかけたまま早朝よりヘーゼンとした顔でお弁当を食べている。何だか腹立たしくなってきたので(笑)、早々にこの場から脱出することにした。

今日は長崎バイオパークに行く日なのである。
途中でいいスペースを見つけたので、朝から一平ちゃんの焼きそばを食べたり、日記をUPしたり、昨日洗濯していたものを車内に干したり。

それにしてもいい天気だ。週間天気予報を見ていたら、今日あたりから暫く曇りや雨みたいに言ってたのに。ま、晴れてくれたほうがいいに決まっているんだけど。

9時を過ぎたので移動開始。
さすがにGW。朝から人であふれている。長崎バイオパークは動物園で、入園料が驚きの1600円。それでも来ちゃったのは、ビートたけしのアンビリーバボーという番組で紹介されていた、カバのモモちゃんに会いたかったからだ。

普通カバは水中で出産するのだけど、モモちゃんのお母さんはその日水温が低かったせいか陸で産んでしまったのだ。モモちゃんは飼育員さんに発見されて何とか命を取り留めたのだけど、母親のもとに返しても母親は知らんふり。カバではこういう子育て失敗というのがほとんど例がないらしく、人間の手によって飼育されるのは極めて珍しいのだそうだ。だから飼育員さんも模索しながら、ミルクを与えることから、泳ぐことまで赤ちゃんに教えたという。

その話に涙涙したのでここへやってきたのである(影響されやすい人)。でもカバのももちゃんだけでなく、他にもたくさんかわいい動物がいたので、わたしの写真コレクションを一挙ご紹介。

紀宮さまがサーヤというニックネームで呼ばれてたのは知ってたけど、花の名前からなんだね。

朝っぱらからいちゃつく・オウム 花もいっぱい よっこいしょ、お相撲さん?・シロサイ

これでも支配者・カピバラ 食べちゃいたいくらいかわいい
カピ子供
きりんさんのハムハム
今日はおしりじゃなくって顔

一本足打法
もしくは
秘打白鳥の湖
こうもり初対面 川の字見れてよかった
真ん中がももちゃん
旦那と別居中
 
小林幸子とその舞台裏

カバのエサやりを見たかったのに今日は中止(泣)。でもモモちゃんに会えたからいっか。寝てたけど(笑)。他ではカピバラがとにかくメンコイ。南アフリカのインディオの言葉で、カピバラ=草原の支配者、という意味らしいけど・・・(笑)。あの顔でこの名前。アンバランスなのがイイ。

エサを買って与えることができる、ものすごく触れ合える動物園だとは思うし、これだけ写真を撮って楽しんでおいて言うのもアレだけど、1600円はやっぱり高いと思う(本音)。うーん、800円がいいとこかな。モモちゃんという存在を除けば300円の熊本動植物園のほうが数段わたし好み。ここはラマはいてもラクダがいないし(あくまでラクダ基準)。

意外と早くに出てしまったので、R206→R499で野母へ。
どうしても近くで見てみたいものがそこにはあるのだ。

快調に走っていると、R499の右手に。はっきりとわたしの目が捕らえた。あれに絶対間違いない。

少しづつ近づいている軍艦島。自分の鼓動が聞こえてきそう。

野母崎のほうへ行こうと砂利道を走っていくと道が無くて、危うく転落しそうになりつつ(汗)、電話をしてようやく船乗り場に辿り着いた。

次の船を待っている間、資料館に行って写真を見たり海岸に座って眺めてみたり。

不思議な島・端島。通称・軍艦島。その姿からそう呼ばれるようになったらしい。

近くにある島と比べても、遠くからでもはっきりと感じる違和感。

今まで海岸から眺めていた島とはまるで違うのだ。カクカクとした見るからに木も生えてなさそうなフ自然な島。

160m×480mしかないこの島に1960年代の最盛期には5000人以上が住んでいたという。日本で初めて鉄骨アパートができた島。土地がないから地下にはパチンコ屋ができ、屋上には庭園ができた。自然がないからベランダに皆、盆栽を並べたという。この島には石炭があったから、人が殺到した。会社の計らいにより、生活レベルはかなりよかったという。昭和30年代でこの町はテレビ普及率が100%。

しかし、エネルギーは石油へと移り変わり、1974年この島は無人島になったのだ。

わたしがふとしたきっかけでこの島を知ってから、どうしても自分の目で見てみたくなった。この島は倒壊危険な建物が多いらしく入ることはできない。でも近くを周る船ならあるというので、それで少しでも近づけるならとやってきたわけだ。

意外と知られていないのか、船に乗るのはわたしとあと1組の3人しかいなかった。15分ほどかけて軍艦島まで行く約40分ほどのクルーズ。たった40分だとしてもクルーズは似つかわしくない。これは船旅なのだ。

派手(笑)この船で出発

少しづつ近づいてくる軍艦島。廃墟ぶりが、近づくにつれてよくわかる。

たくさん写真を撮ったのに、見れば見るほど一体どれを見れば「これが軍艦島だ」とわかるものなのかよくわからなくなってしまった。だから何枚か写真を載せることにする。

軍艦島1 軍艦島2 軍艦島3

「もう入ってはいけない島」のはずなのに、釣りをしている人、廃墟の中を歩いている人も発見した。ヤミ業者がいるってことか。でもね、この島に人の姿は似合わない。人の住まない家は傷みやすいという。コンクリートで固められた頑丈そうな建物の塊なのに、今にももろく崩れてしまいそうだ。もう、この島は、人を受け入れていない。

こんなとき人数が少ないとありがたい。船のおじさんといろんな話が出来てすごく得した気分。

またね

近くに温泉があったので入浴しておく。あぁ、気持ちいい。でも頭は軍艦島のことでいっぱいだった。あの島を離れるとき、そこで暮らしていた人はどんなことを思ったのだろう。ときどきこの島を見に来たりするのだろうか。今にも崩れそうな島を見て、何を感じるんだろう。

もう5時を過ぎていたし、今日行きたいところまで距離があるから車を走らせようと思ったのに、時間が遅くなろうが構わないと思った。広場があったのでご飯を炊きつつ、本を読みながら待つ。


こんな時間はちっとも惜しくない。待って、よかった。

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