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2005年11月14日(月) はれ <209日目>
出発地:三重県名張市
青蓮寺湖畔ロマンの森キャンプ場
現在地:愛媛県某市 実家
走行距離:575.4km ★ 計:24936.1km
      (うちムーブくん787km)
出費:0円


→愛媛県・出逢いは何かのはじまり。


気がつくと、泣いていした。



奈良からひたすら走り続けた車を停めたのは、23時近くになってからでした。

兵庫県・明石市の大きなスーパーの駐車場。

赤くなった鼻に冷たい空気がツンと沁みました。

最初の短いメールの後、1時間後に姉からもう一通届いていたようでし




父、被害者。轟家の車で同乗者あり。衝突時、車が横転し、肋骨数本と肺の片方が潰れかかっているとのこと。父、命に別状はないらしいが、今日か明日中にはこちらに戻ってきてください。



奈良で家に電話をかけると兄が出て、様子を伝えてくれました。「加害者でなくてほっとしたけん。今日戻ってきてももう面会もで
んし、ゆっくり帰ってきたらええけん」

その言葉も
ったけれど、また別の思いもあったので、TOTOさんのナビで調べてもらって乗るつもりだた大阪の柏原で高速に乗ることができませんでした。

父のことは別にして、今、愛媛に向かって走っているということ。それが何を意味するのか、このときは否定しながらも、今思い返すと何となくわかっていた気がします。

17時からの下道。日曜だからか、幸渋滞に巻き込まれることはありませんでした。心地よい流れに流されるまま走っていると、スライドショーのごとく今までの旅の数々のシーンが鮮明に甦ってきました。

それが涙の理由だということも、何となくわかっていました。

209日間、いろんなことがあり
した。

どこで寝たらいいのかわからなくて、広島港で迎えた最初の夜。
走り屋の音に萎縮した夜。
車をドンドン叩かれ、びっくりして目を覚ましたこともあった。
死を感じたこともあった。
煽られることにイライラした日もあった。
「お金」「お金」と言われて腹が立った。
旅をしていることを責められて、泣いたこともあった。
言いたいことが伝わらなくて、悔しい思いもした。
自然の中を歩きながらゴミを見つけると矛盾を感じた。
都会に息苦しさを感じて、ホームシックにもなった。
車から離れている間、いつもパソコンが心配だった。
電池不足に、いつも頭を悩ませていた。
眠たい体にムチを打って、暗い車内で日記を書いた日々。

いきなり手をにぎられたり、肩を抱き寄せられたりしたこともあった。
「かおりさんやりたい(え)」といきなり言われ、
旅人と話すのがイヤになったこともあった。
オトコだったらよかったのに、と何度も思った。
オトコだったら力もあるし、襲われてもやり返せる

ビクビクしなくても済むし、生〇もないし(!)。
何度も、何度も思った。

でも、毎日、思っていた。

「仕事をがんばって旅に出てよかった」

よかったと思っても、後悔することなんてひとつもなかった。
それは、この旅が感動と喜びに満ち溢れていたからに他ならない。
それは、オトコでもオンナでも若くても歳を取っていてもきっと変わりはなくて、旅に出る勇気とチャンスを持てた人が、感じることができることなのだと思った。目に焼きついた、たくさんの日本の景色。

大きな海の向こうに、故郷を見た


あざやかな花に、心奪われた


見上げた空に、一喜一憂した


自然美に、言葉を失った


それぞれの季節を、しみじみと感じた


遠くの友を、想った


また戻りたい場所に、巡りあえた


自分が好きなものに、気がついた


旅は、出逢いに満ち溢れていた


いつでも、どこでも


実家に戻るまで、わたしの心は落ち着かないで居ました。

このまま旅を終えるのか、まだ行きたいところがあるのにいいのか、でも、また間を空けて旅に出るのはいやだと感じる自分が居ました。「次、家に帰るときはゴールするときだ」と思っていたから。

自分で最後は決定しないといけないのはわかっていたのに、ある人にメールをしていました。

「とにかく、かおりさんが後悔しないように」

そう言ってくださったのは、いつも困ったとき旅の手助けをしてくれたわたしの
き先輩であり、仲間。どれだけ今まで助けられたことか。感謝の気持ちでいっぱいです。そのメールを見たとき、わたしの心は9割方決まっていました。また、しばらく落ち着いたら続きの旅に出ようと。またやり残した、行き残したところを旅しようと。

しかし、不思議なことに15時間かけて地元に辿り着くと、わたしの心は充実感や達成感で満たされていました。1回目に赤目滝に行って、眩しい光が差し込むのを見たときに感じた「いつ旅を終えてもいい」とい
気持ちは、どうやら嘘ではなかったようでした。

思っていたよりもずっと長くなった
。たくさんの貴重な経験ができた旅。だからか、いつも感じていました。100点満点を。一でもずれていたら出逢えなかっただろ人やものや景色。全てのものを「運命」という言葉に頼って組み合わせてしまいたいほどに、わたしの旅はドミノ倒しのように次から次へとステキな世界へと繋がっていきました。

そして気がついたのです。

それに終わりはないことに。

出逢いは、何かの始まりにすぎないことに。

だから、それがわかったとき、何の迷いもありませんでした。


夜通し走り続けてついた、ゴール地点。

いや、きっと・・・「ゴール」だけど、「ゴール」じゃない。一つの区切りに過ぎないのだろうと思いました。

209日前の4月11日、わたしはここを出発しました。それから、どんなドラマのような旅がはじまるかも知らずに。今日、11月14日朝8時、五体満足で無事に戻ってくることが出来ました。

ただいま!

こんなにさわやかな気持ちになれたのは、きっと最後が、たくさんの旅
に会えてとっても楽しい時間だったから。

自分のことは前から好きだから(笑)、変わりたいとか、何かを得たいとかそんな大それた理由で旅に出たわけではありません。でも、それでも、得たことは数えきれないくらいありました。

リアルタイム日記を書いていたことも、この旅では大きなポイントとなりました。だからこそ、得られた情報や出逢えた人がたくさんいたからです。そしてこの日記は、悲しいことも、嬉しいことも黙って受け止めてくれた魔法のノートでした。わたしにも感情はあるから、きれいな言葉ばかりで日記を書くことはできませんでした。そんな喜怒哀楽の激しい日記だったにも関わらず、身近な人に旅の安全を伝えるために始めたにも関わらず、今日(11月25日)で約40000HITSものアクセスを頂けたことを、心から感謝します。

無知な上に、言葉遣いも悪い、偏った考えだと思いながらも書いたものもあります。気分も害された方もいらっしゃることでしょう。だ
したら申し訳ございませんでした(ぺこり)。

「たのしい」「おもしろい」「わたしも旅に出たい」「旅をしている気分になれた」

わたしの旅に乗っかって、そう思って頂ける方がいたこと。それが徐々にわたしの中での大きな喜びとなり、支えとなりました。

快く旅に出
てくれたわたしの大切な周りの人たち。

ありがとう。ありがとう。

何度言えば、伝わるのかな。

big smile in kumamoto, photo by kazu-san

ありがとう、また、この大きな空の下で・・・


指きりゲンマン。きっとだYO!


今ここに、「ジムで行く、日本旅」、完結します。


PS1 ホタテパイできなく
すみませんでした。いつぞや、必ず。
PS2 父、看護婦さん曰く、「驚異の回復力」とのこと。特に、赤目メンバーのみなさま大変ご心配おかけいたしました(ぺこり)。


画像は大きくなるものとそうでないものがあります


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