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| バンバンと行く、SW紀伊半島の旅 2015 | |||||||||||||||||||||||
| 1日目その4:2015年9月19日(土) はれ | |||||||||||||||||||||||
| バンバン走行距離:377.9km | 費用:―円 | ||||||||||||||||||||||
●移動概要● R425: 奈良県・三重県の県境→出合橋・奈良県道228・東ノ川 宮ノ平集落 |
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目を疑いました。
帰る方向(出発地点の尾鷲市の方)には、この「通行止め」の案内。 ![]() 進みたい方向(今日の宿の下北山村の方)には何も書いていません。ということは、 今まで走って来た区間こそがR425の入口に書いてあった通行止め区間、ということ。ですよね。ってことは? 「もうこの先には通行止めは現れないのではないか」 「今まで走って来た区間が通行止めとなっているのであれば、引き返すよりも先に進んだ道の方が安全なのではないか」 「ここまで来てしまった以上、進んでも問題ないのではないか」 という結論に達したのであります。逆方向から来ていたら、おそらくわたしはここで引き返していたと思うので。宿が取れなくて、尾鷲から来たから運よく通してもらうことができた、ありがとう、と思わせてください(*´ω`*)。
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逸る気持ちを抑えて、進んでゆきます。ときおり建物が見えるのですが、人気は全くありません。廃屋と呼ぶには綺麗なものもありました。先ほどの区間ほどではありませんが、路肩は全般的に弱いみたいです。
不動橋にて記念撮影。 あまり橋の上は広くないのですが、交通量皆無なので好きなように写真を撮ることができます。今日は本当にいい天気。こんな日にツーリングができて幸せだなとしみじみと感じます。バンバンも映えるね(*´ω`*)。
県境を出発して20分。出合橋に来ました。
このまま橋を渡って行けば、下北山村方向へ。
橋を渡らずまっすぐ進めば、2013年のツーリングマップルからは消えていた奈良県道228号線・東ノ川 宮ノ平集落へと続きます。
R425を走るのであればと、楽しみにしていた奈良県道228号線。理由はその先にある集落にあります。ただ、結構な険道であることも知っていました。 集落まで5キロ程度でしょうか。
すぐに大きな水たまりに遭遇しました。ぬかるんでいてタイヤを取られなければいいけど、と思いながら前進。無事クリアできました。
続いて、川のように水が流れているところにボコボコの路面、浮石ゾーンです。多分通れるけれど、無理をせずバンバンから降りて押して通過しました。もっと状態は悪いのかと思っていたのですが、ここ以外は思ったほどの路面でもなかったです。 それにしてもしばらく前からずっとわたしの側にある池(ダム?)がクレヨンで塗りつぶしたような濃い色です。福島県の五色沼の色を思い出しました。立ち入り禁止の橋がありましたが、さすがのわたしでも近くで写真を撮るのも怖かったです。錆びたワイヤーがいつ切れるか・・・(イケナイ妄想が広がる)
先に進みます。
誰にもすれ違うこともなく、廃校にたどり着きました。
驚いたのは、この東ノ川・宮ノ平集落がサイクリングコースになっていて、こんな綺麗な案内がでていたことです(自転車であれば、ここまでの道を走っていたらパンクしそうだけど(°ω°))。 この辺りにはかつていくつか集落があったのですが、坂本ダム建設に伴い、水没したのだとか。この学校はダム建設の補償のため、当時としては珍しい鉄筋コンクリートで造られたそうですが、わずか5年で休校。この東ノ川小中学校で学んだ子供はわずか5人しかいないそうです(wikipediaより)。 あの酷道から険道・・・この辺りの風景にあまりに不似合な感じがする学校です。
どこも廃校になったところなんて荒れていることが多いのですが、あまりの荒みように驚きました。廃墟やお城。その時代にそこで生きたことがなくても、こうだったのかな、ああだったのかな、と思いを馳せることができるから好きです。 1969年に休校。1998年に閉校。休校と同じ年に集落からは人がいなくなったというのに、閉校は29年後。29年も、この学校は誰かが戻ってくるのを待っていたのでしょうかね。
坂道を上がっていき、宮ノ平集落へ行きました。学校からすぐのところです。
宮ノ平集落から人がいなくなったのは、1969年。今から46年も前です。それなのに、学校とは全く様子が違うのです。もしかしたら誰かいるのではないかと・・・思ってしまうほど、集落がきちんとしているのです。 この集落といえば、人がいなくなった後も、存続していた東ノ川簡易郵便局です。2005年に廃止になったので、もう一見普通の建物に見えるのですが、よーく見ると、郵便のマークが残っていました。
不思議ですよね。 人がいなくなってから、36年も営業されていたようなのです。人里離れた地形的にも険しい山奥であるからか、電話線を引くことができず、最後までオフライン(手作業)での取り扱いだった珍しい郵便局だったそうです。2005年かぁ・・・知っていたら、わたしも来れたのになと思うと、とっても残念に思いました。
少し覗かせてもらうと、家に残されたものが目につきました。ここの主は、また戻ってくるつもりだったんじゃないだろうかとふとそんな風に感じました。もしかして、持ち主の方が時々帰ってきているのでしょうか。廃村になって何十年も経ったようには思えなかったし、スプレー缶の落書きも目につかず、うれしくなりました(*´ω`*)。 静かな集落に、失礼いたしました。この集落の歴史に少し、触れさせてもらいました。また来させてくださいね。
帰りは大きな水たまりにオットットしながら、出合橋まで戻り再びR425を進んでゆきます。 ※集落は、サイクリングコースにもなっているくらいなのでよいかと思ったのですが、やはり掲載していた写真は、公開することでそのような状態を助長させてはいけないと思い、削除しました。奈良県の山奥に、こんな集落があったのだと、心のどこかにそっと留めておいて頂けたらと思います(・ω・)。 |
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